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プリティ・イン・ピンクをWOWOWで久しぶりに観る

ジョン・ヒューズの一連の青春もので唯一ロードショーで観ているのが『プリティ・イン・ピンク』だ(ジョン・ヒューズは脚本を担当。監督はハワード・ドイッチ)。登場人物たちの年齢に近かった時に観た当時よりも今観たほうが圧倒的に面白く感じた。なぜか。これはもう当時の自分が子どもだったのだ。モリーアンドリュー・マッカーシーも素敵だけど、今どき身分違いの恋だなんて実にベタな少女漫画的世界だな、なんて当時はそんなふうにしか捉えられなかった。当時の日本といえば一億総中流などと言われていたくらいだし、学園カーストなどもほぼなかった(少なくとも自分の周りには)。のほほんと暮らしていて社会というものが見えていなかったのだ。映画の彼女たちのほうがずっと大人だ。あらゆる世界で二極分化が起き、格差が広がっている今、この映画を観るとぐっと身近な世界に感じられる。名作と呼ばれる作品は古くなるどころか新しく何度も生まれ変わるというのは本当だ。

冒頭、Psychedelic FursのPretty In Pinkをバックにカメラは線路が走る風景をゆっくりパンしていき、その近くにあるモリーの家の前に止まる。郊外の落ち着いた家というのではなく、少し場末にある家ということがさりげなく示される。で、モリーがストッキングやスカートや靴下などをつけて朝の用意をしている姿をクロースアップで撮り、コーヒーの支度をして父親を起こしに行く場面へと続いていく。実に健気な娘というわけだが、父に職がなく、二人暮らしだという境遇が示される。二人の会話の間は音が小さくなっていた音楽が再び大きくなるとハイスクールへの登校場面へ。学園映画でお馴染みの黄色いスクールバスが見えるが、映画はモリーが既に校舎の階段を上がっているところから撮っている。 バスで通っているのであればバスを降りるところから映していくのでは、と思っていたらあとで彼女は自家用車通学なのが判明。多分中古のものを丁寧にメンテナンスして乗っているのだろう。車には詳しくないので、なんて種類なのかはわからないけれど、彼女のファッションによくあっている。他の生徒たちが乗っているのに比べてもかなり個性的だ。さらにいえば、彼女の住居は、スクールバスが巡回しないはずれにあると推測もできる。リッチな生徒たちが多い学校に成績優秀故に遠くから通っているというわけだ(あくまでも推測)。

そんな彼女を認めないいじわるリッチ生徒たちは、一様にファラ・フォーセット・メジャーズのヘアカット「ファラ・カット」をしており、80年代ファッションに身を包んでいる。自分で服を縫ったり、アレンジして独自のファッションに身を包むモリーは自分たちと違うというだけで目の敵にされている。そんな中、社長の御曹司の超いいところの男子、アンドリュー・マッカーシーモリーのことを好きになる。瞳がきらきらの笑顔の麗しい男性でモリーも彼のことが好きになっていく。

モリーが属するグループのところに彼がやってくる場面があるのだが、金持ちの彼が着ている当時の流行服がそこでは寝間着に見えてしまうという・・・。80年代ファッションってほんと独特。

見た目はとても似合いのカップルなんだけど、二人が付き合うということで、二人はグループ外の人間からは敵視され、自分たちの仲間からも奇異な目で観られるという状態に陥ってしまう。そんな時に弱いのはやはり男性の方(という偏見)。プロムに誘っておきながらいざとなると雲隠れしてしまう。詰め寄ると別の子を誘ったという。

それにしてもプロムって大変な行事だ。自由参加だから別にでなくても良いものらしいが、これに出なかったことで後悔したという女の子の話も出てくる。最近観た「21ジャンプストリート」という映画でも主人公の二人はそれぞれの理由でプロムに出られず落ち込んでいるという場面が出てきた(更に彼らには二度目のプロムが訪れるのだがそれも一筋縄ではいかないのだった)。

最後には、幼なじみでずっとモリーの周りをうろうろしているジョン・クライヤーに見せ場がやってくる。彼がモリーがアルバイトしているレコードショップでオーティス・レディングの「Try a Little Tenderness」を口ずさみながら踊って回るシーンも見どころの一つ。彼が最後にひとりぼっちにならずちゃんと別の女の子が現れるところは往年のMGMミュージカルのよう。

しかし、めでたしめでたしで終わったモリーアンドリュー・マッカーシーの恋の行く末を思うと、なかなかしんどうそうだなとついつい思ってしまうのは歳をとった弊害なのだろう。若いころはその純粋さに感動することができたというのに。