映画とご飯

映画と外食。

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江坂の天牛書店に古本を売りに行く。ここは自分の知る限りでは一番高く買ってくれる古本屋さん。買い取ってもらったあとに一冊購入。マイケル・シェーンシリーズのペーパーバック。1958年発行の本作は、作者名はブレット・ハリディになっているものの、別の作家がハリディ名義で書いた作品らしい。ハリディ自身は1958年には作家活動の第一線から退いたらしく、人気のあるシリーズを続けたいために出版社がそのような方針をとったのだろうか。そのあたりの版権とかどうなっていたのだろうと、気になるが、カバーイラストは最近画集が発行されて話題のロバート・マクジニス。

 

無月物語

久生十蘭の『無月物語』(教養文庫)から「湖畔」と「無月物語」を読む。

北村薫は『ミステリは万華鏡』(角川文庫)の中で「湖畔」を取り上げている。主人公が、死んだはずの妻に会い、狂喜して林の奥の小屋で、愛の生活に入るという展開について、「問題なのは、それが現実に起こったことなのか、主人公の夢想なのか、ということである。これは問題なく後者だろう」といい、その根拠を上げている。そして、文章の一部を引用したあとに「ここで、《ああ、じゃあ生きていたんだ》と読む人がいるらしいのである。以下、延々と続くのは、生きている陶との、現実の生活だと」と書いている。

実を言うと、私など、まさにそのように解釈した一人である。そんなふうに思ってしまうのは、やっぱりどこかでこのひどく不幸な人たちが救われてほしいっていう思いがあるからなのだろう。しかし、北村氏は的確にこれが主人公の夢想であることを証明していく。高木を殺したのも主人公であろうと。しかし、冒頭に思いをはせると、彼は自分が犯した二度目の犯罪について「これは普通に秩序罪と言われるもので」と独白しているので、やはり高木を殺してはいないのではないか、と再び、「実は生きていた」説に傾いてしまう。勿論、高木は夢想に囚われているのでそのように記しているのかもしれないが。

しかし、続いて表題作の「無月物語」を読むと、私のこのような考えが「甘い」としか思えなくなる。これは恐ろしい、実に救いのない、冷酷な、氷よりも冷え冷えとした、これ以上の不幸はない、震撼する物語である。ここまで無情な小説を私は読んだことがない。これを読んでしまうと、「湖畔」はやはりそんなロマンチックな愛の物語ではないのだ、という結論にいたってしまう。

それにしても、これほど残酷な物語なのに、嫌悪感が襲ってこないのは何故なのか。物語が、一種の地獄図のようにある種の「美」へと昇華していると解釈して良いのだろうか!?

 

本日の名盤

 Gerrry Mulligan 「Night lights」

Night Lights

Night Lights

 

ジェリー・マリガンGerry Mulligan、本名Gerald Joseph Mulligan)は、1927年ニューヨーク生まれの作曲家、編曲家、バリトン・サックス奏者、クラリネット奏者、ピアニスト。
ウェスト・コーストジャズの基を作った人としても知られる。1963年録音のアルバム「Night Lights」は昔、ある喫茶店でかけてもらったことがあり、その時はミュージシャンの名前も曲のタイトルも知らなかった。ただ、素晴らしいジャケットと、一曲目の静謐なピアノの音に魅惑されたのを記憶している。ピアノはジェリー・マリガン自身が弾いている。
四曲目の「Prelude In E Minor」は、フレデリック・ショパンの「Prelude in E minor Op. 28 No. 4 」をジャズアレンジしたもの。バリトン・サックスが醸し出す暗~い低音にしびれる一曲。
参加メンバーはジェリー・マリガン(bs, p, cl)/アート・ファーマー(tp, f.hr)/ボブ・ブルックマイヤー(tb)/ジム・ホール(g)/ビル・クロウ(b)/デイヴ・ベイリー(ds)

 

本日の名盤

「But Not For Me」アーマッド・ジャマル

 

But Not For Me

But Not For Me

 

 アーマッド・ジャマルは1950年代からシカゴを拠点にして活動したジャズ・ピアニスト。1957年の本作は彼のもっとも売れたアルバム。表題の「But Not for Me」はガーシュイン作曲。二曲目、「飾りのついた四輪馬車(The Surrey with the Fringe on Top)」はミュージカル「オクラホマ!」のナンバーで、リチャード・ロジャース&ハマースタイン二世コンビによる作品。 エキゾチックなナンバー、六曲目の「ポインシアナ(POINCIANA)」はナット・サイモンとBuddy Bernierによる1936年の作品。キューバフォークソングが基になっている。

 

本日の読了本

「シカゴ育ち」(スチュアード・ダイベック/柴田元幸訳 白水Uブックス

 

 1990年に発表されたダイベックの第二短篇集。シカゴ南部の移民系が多い貧しい土地に暮らす人々の生活を描いている。一作目の「ファーウェル」からぐっと心を掴まれる。極寒のミシガン湖の近くの小さなファーウェルという通りに住むロシア語のゼミの先生のところを僕が訪ねて行く短い短い物語。

そして彼はファーウェルに住んだ。さようなら(フェアウェル=本文ではルビ)と言っているような名前の通りに。

 ここでいきなりぐっと来てしまった。この一文になんと多くの感情が宿っているか。そしてこの作品集の中でも一、ニを争う傑作であろう二作目の「冬のショパン」。妊娠したせいでニューヨークの音楽学校から帰ってきたマーシーが弾くピアノ曲がいつも階下に住む僕たちに聞こえてくる。僕達というのは主人公である僕と、その祖父のこと。生涯を放浪して生きてきたジャ=ジャは、いつもバケツにお湯を入れ足をひたしている。二人のもとに音楽が響いてくる。

ピアノの音が、天井を伝って重く響いてきた。耳からきこえるというより、体で感じられる音。特に低音はそうだった。時たま、和音が打ち鳴らされたりすると、引き出しにしまったナイフやフォークががしゃんと鳴り、コップがぶーんと唸った。

 マーシーが弾いているのはショパン。ジャ=ジャは僕にショパンを解説する。

「あの娘はワルツを一つひとつ弾き進んでおる」密談でもするみたいないつもの低いしわがれ声でジャ=ジャは言った。「まだ若いのに、ショパンの秘密を知っているよ-ワルツというのはだな、人間の心について、賛美歌なんかよりずっと多くを語れるんだ」

ある停電の夜、いつもよりも激しいマーシーの演奏を聞きながら僕はレンジの火のゆらめく部屋でスペリングの練習を続ける。

僕の手元でテーブルが揺れた。でも文字は完璧な形をなしていった。僕は新しい言葉を綴った。それはいままで聞いたこともない言葉だったが、書いたとたんにその意味は明らかになった。まるでそれらが違う言葉に属す言葉であって、その言葉において言葉は音楽と同じく音によって理解されるかのように。

ここでは見事なアンサンブルが起こっているのだ。ピアノとスペリングの。素晴らしい演奏ではないか。「ファーウェル」にも先生の家の近くに来た時に音楽が聞こえているし、「荒廃地域」でも主人公の少年たちはバンドを作って音楽をやっている。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズに影響を受けてブルースシャウトを競い合う。

時たま汽車がすごいスピードで走りすぎていったが、頭上で響くそのびゅうんという音も音楽の一部みたいに思えた。

 ガード下の向こうに黒人の少年たちがやってきて見事なハーモニーを聞かせ、僕たちはそれに聴き惚れたりする。最後まで音楽をやっていたディージョは45回転のレコードまで出してしまう。そして、酒場を一軒一軒回ってジュークボックスに入れてもらう。

このように音楽が活き活きと作品に息づいていて、音は聞こえないのに、すっかり音楽に浸っている気分になってページをめくっている。何か一枚のアルバムを聴いたように。そして聴き終わった時には少年たちは成長して町を出てしまっており、音のない世界に戻ったようななにかとても静かな寂寥感を味わいながら、本を持って放心している。そんな感じ。

一方、連作「夜鷹」の中の一編「時間つぶし」では主人公は時間つぶしに美術館をぶらつく。そのため、いくつかの美術作品が出てくる。ゴッホの『アルルの寝室』、ドガの踊り子、「『グランド・ジャット島』の川べりに遊ぶ群衆の一員なのだ」というのは勿論、ジョルジュ・スーラの『グランンド・ジャット島の日曜日の午後』を指しているだろう。モネの『サン=ラザード駅』『サン・タドレスのテラス』『プールヴィルの海の影』。そして最後を締めくくるのはエドワード・ホッパーの『夜ふかしをする人々(ナイト・ホークス)』。まさに「夜鷹」である。

このあとにつづく連作の一編「不眠症」は、ホッパーの絵を素材に、そこから自由にイメージをふくらませてものであると、解説に書かれている。

聴覚に、視覚に、実に豊富なイメージを味わえ、心にいつまでも響き続ける傑作短篇集だ。

本日の食

京都北白川「MUNIAN」のトリュフ。ホワイトチョコレートに抹茶とほうじ茶と甘緑茶をそれぞれ加えた絶妙な食感の逸品。美味しい~~!

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本日の名盤

Blues & The Abstract Truth (Reis) (Rstr)

Blues & The Abstract Truth (Reis) (Rstr)


1961年2月録音 私が初めて買ったジャズのアルバム。元町にあったジャズ専門のレコード店だったけど、なんていうお店だったかしら。かなり聴き込んだ一枚です。
オリバー・ネルソン - アルトサックス、テナーサックス エリック・ドルフィー - フルート、アルトサックス ジョージ・バロー - バリトンサックス フレディ・ハバード - トランペット ビル・エヴァンス - ピアノ-ポール・チェンバース - 低音 ロイ・ヘインズ - ドラム

本日の読了本

黒猫の薔薇あるいは時間飛行 (ハヤカワ文庫JA)

黒猫の薔薇あるいは時間飛行 (ハヤカワ文庫JA)


黒猫がパリのポイエーシス大学の客員教授に就任してから四ヶ月が経とうとしている。彼の付き人だった女子大学院生は一人黒猫を思いながら、唐草教授の依頼で学内機関紙に論告を書くために取材に向かう。今回メインになるポーの著作は「アッシャー家の崩壊」。世界の多彩な植物群が生態ごとに配置された日本のゲニウス植物園が、日本とパリで持ち上がった謎にリンクしてくるという展開。
今回付き人の学院生が自ら謎を解いていくのだが、唐草教授が彼女について次のように述べる。

君の論考はある意味ファンタスティックでありながらとても堅実な印象を受ける。

 そして、黒猫についてはこう語っている。

 黒猫クンの論考はいささか常人の理屈を超越する嫌いがあるが

そう、私のようなおつむの人間には付き人の女子大学院生と、今回彼女の付き人として新登場した院生の戸影のやりとりからくる推理の方が取っ付き易い。黒猫 の謎解きは非常に明快ではあるのだけれど、なんせ天才の論理になるので、今一つ理解しにくい、わかったようなわからないようなぼんやりした感じというか、 難しい理論の本を読んで頭が混乱してしまうという感覚に近い。推理自体も美学的といった印象が強い。しかし、それでも尚、理解しようとくらいついていく感 覚は、「知」への好奇心をくすぐられるからであろう。学問への愉しみに惹かれるからだろう。

本日の映画
キサラギ』(監督: 佐藤祐市 2007年日本映画)
DVDにて。別 に2月になったから選んだわけではない(笑)。そもそもこの映画のタイトルは「キサラギ」という苗字を持つ女性アイドルをさしている。彼女の一周忌に集 まったファンサイトの書き込みの常連たち。やがて彼らがただのファンでなくなんらかの形でアイドル、きらさぎみきに関わっていたことがわかってくる。彼女 は自殺したとされているが、本当は殺人ではなかったのか、犯人はこの中にいるのではないか!? といった緊張した舞台劇を思わせる展開に、クスっと笑わせ るユーモアをおりまぜながら物語は進む。HN「いちご娘」が香川照之というのでまず爆笑。そして、事の顛末が明らかにされた際、「アイドルだったんだ」と 香川が言う台詞に涙腺崩壊。はらはらどきどきさせられて、最後には胸キュンさせられて、お見事の一言。究極のアイドル論映画と呼んでもよいかもしれない。 最早、誰もドルヲタを笑うことは出来ない。