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毎日散歩

本と映画と音楽と、ときどき珈琲

オーバー・フェンス

映画

山下敦弘の『オーバー・フェンス』は喫煙室の窓から外の廊下を映した場面から始まる。休み時間らしく大勢の人間が窓の外を歩いている。そこに声がかぶさり、穏やかな口調のオダギリジョーの声が響いてくる。画面はすぐに切り替わって喫煙室の中の男たちがナンパの話などで盛りがっている様子が描かれる。オダギリジョーはいたってにこやかに周りと接している。しかし、話が進むに連れ、この主人公は心に傷を負った人間であることがわかってくる。深く、深く傷ついている。黒沢清の「アカルイミライ」でちょっとしたことですぐにキレる青年を演じていたことが頭にうかび、いつか彼が感情を爆発させるのではないかと少々ハラハラしてみていたのだが(佐藤泰志の原作は未読)、ここでの彼は上辺はいたって平穏であり、笑みをたやさない。

しかしである、そんな彼が他人(親しい女性?)の心を「壊す男」なのである。おそらくそれは当人自身、あまり気づいてなくて、傷つけてしまったという事実は受け止めても、全てを認めてしまうことができないでいる。俺だけが悪いのかと彼自身大きく傷ついている。

一方、蒼井優が演じる女性は、オダギリにひかれながらも、かつて自分を傷つけてきた人たちと彼が同種類であることをすぐに見抜き逆上する。それは非常に激しい振る舞いなので、蒼井優のキャラクターはちょめんどくさい変わった女、頭がいかれてる女、「壊れた女」と敬遠されがちかもしれない。しかし、彼女はただ愛情を感じて暮してみたいと願っているごく普通の女性なのではないか。

オダギリと蒼井がはじめて遭遇する場面がここで重要になってくる。「同伴してもらった」中年男性に彼女はしきりにかみついていて、「(家族に)愛情表現はしている?」と聞き、ダチョウの求愛表現を真似始めるのだ。そう、彼女は鳥の求愛行動を何度も舞ってみせる。踊りにはいっさい迷いがないように見える。蒼井優が舞うとなれば、岩井俊二の『花とアリス』で無心に踊り続けた姿が思い出されるが、本作でも舞う蒼井優は最高であり、その姿は輝いている。鳥のような愛情表現をなぜ人間はしないのか、なぜ、愛情を示さないのか、彼女の求愛ダンスにはそんな想いがしたためられているはずだ。

オダギリは別れた妻と久しぶりに会う。彼女は元夫に「仕事が好きだったのに」、「一緒にいても私のこといらないと思ってたでしょ」と語る。それはオダギリにとってはおもいがけない言葉だったに違いない。仕事(特に仕事が好きというわけではなかったらしい)に懸命で愛情表現を怠ったために、知らず知らずのうちに妻をぎりぎりのところまで追い込んでいたのだ。

インコなどを飼ったことがある人はわかると思うけれど、鳥というのはそれはそれは豊かな感情の持ち主で、喜びを全身で表してくる生き物だ。残念ながら人間はそのようにはできていない。だから伝わらなかったり、誤解されたりして理解しあえない。どうして鳥のように生きられないのだろうか、自分は鳥のように生きたい、蒼井優はそんなふうに考えて舞うのではないか。その舞の中でオダギリは徐々に変化していく。彼がキャバクラの店内で蒼井優を抱きしめるところは本当にぐっとくる名シーンだ。

そんな複雑な男と女の物語であると同時に本作は「お仕事」映画でもある。「職業訓練校」が舞台ということで、そこに通う人々は今現在、仕事にはついておらず、一時だけの猶予期間に置かれている。勿論、真剣に大工をめざしている人もいるだろう。しかし、喫煙室グループ(タバコを吸う、吸わないで訓練生は二グループに分かれている)は、とりあえず通ってはいるがまだ決め兼ねている人ばかりだ。松田翔太扮する男がオダギリに語り掛ける言葉がこの映画のキーワードだ。曰く、「食ってくのってめんどくさいことだと思いません?」。あたりまえのようにやらないといけないことがなんと大変なことか。仕事をして生活していくということがいかに困難なことか。ひいては生きていくことがいかにしんどいことか。オダギリは「自分は普通の人間で普通に結婚して仕事をしていくのだと思っていたのに」とつぶやいている。

ときどき、すっと、山のような丘のようなものが画面の片隅に見えそこをカモメが飛んでいくという無音の場面がインサートされる。色のない世界。それはまさに『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)が描いた函館だ(『そこのみにて光り輝く』は未見)。撮影は佐藤泰志原作の前二作と同じ近藤龍人。しかし、私はオダギリの住むアパートの二階に通じる階段の奥にちらっと海が見えている光景を見て、ポール・トーマス・アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』の冒頭に出てくる(そのあとにも出てくるのだが)光景を思い出したし、坂道と市電と海が見える光景は一瞬サンフランシスコを連想した。本作品の函館はさまざまな顔、いろんな色を持っていて実に魅力的である。