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毎日散歩

本と映画と音楽と、ときどき珈琲

大阪・福島の聖天通り商店街を歩いてたら、「トランペット」という名の古本屋があったので入ってみた。これがなかなか通な品揃え。金子光晴小島信夫庄野潤三といった日本作家とか、フィリップ・K・ディックレイ・ブラッドベリといった海外作家の文庫本、映画関連本や、植草甚一等々。お値段がリーズナブルなのも嬉しい。また来たいと思わせる。二冊購入。一冊は金井美恵子『岸辺のない海』(中公文庫)。そしてもう一冊が今回紹介する『ニューヨーク・ブルース』(ウィリアム・アイリッシュ/創元推理文庫)だ。

 アイリッシュといえば、サスペンス・スリラーで有名な作家というイメージだが、ここに収められている13編は彼らしい時間制限のサスペンスあり、ユーモラスなオチのついた犯罪ものあり、少女を狙う連続誘拐犯に挑む少年の冒険譚ありと、バラエティに飛んだ充実した作品集になっている。

自由の女神事件」は、奥さんに「たまには博物館にでも出かけて彫像でも見て来なさい」と言われた刑事がどうせならでっかい彫像をみてきてやろうと自由の女神見物に出かける。女神の中の階段を登っていく途中で出会ったやけに太った男が忽然といなくなり、刑事は独自で調査を始めるという作品。自由の女神の中に入って見学できるって初めて知った。

「さらばニューヨーク」は犯罪を犯した男がホテルの部屋に閉じこもっているが、警察に居場所を嗅ぎつけられ、周囲を固められていく中での葛藤を描いている。部屋の窓から眺めるニューヨークの街並みは次のように描写される

ニューヨークのマレーヒル、午後六時の街頭風景が、小さな平行四辺形に区切られて目にとびこんでくる。上空にはパン・アメリカン・ビィルディングの照明の最上層が、湿気と一酸化炭素のなかで、ちらちらゆらゆら揺れている(中略)。下方の歩道に目を移すと、街頭のぼーっとにじむグリーンの光がひとつ、遠近効果でカボチャほどにふくれて、わたしの窓にせりあがってくる。そして、分け開かれたブラインドがつくる細い空間にそって、ライトが赤と白のかがやくビーズ玉のようにつらなって過ぎて行く。みな一方向、右から左へ走っている。三十七丁目は西行き一方通行なのだ。そしてどれもふたつずつ、ヘッドライトとテールライト、ふたつならんで、暖慢な走行の渦とかまびすしいクラクションの交錯のなかを進んで行く。

 ラジオから「ウェストサイド物語」の「トゥナイト」が流れてくる。さらに夜はふける。

これは夜の深淵、コーヒー・カップの底の澱であり、滓である。暗鬱の時間(ブルーアワーズ)。男たちの神経はいよいよはりつめ、女たちの不安はつのる。これより男と女は愛しあい、あるいは殺し合い、ときには両方をやる。そして、『レイト・ショー』のタイトル・シルエットの窓に、ひとつずつ灯がともるにつれて、まわりの本物の窓は暗くなってゆく。これより先この静寂は、足をとられた酔っぱらいのわびしいののしり声か、急カーブを切る車軸があげる金切り声によってのみ破られる。あるいは、ビリー・ダニエルズが『ゴールデン・ボーイ』で歌ったようにー〈町は眠り、路上に人影ひとつないまも、ここにはひとつの生活がー〉

夜半を過ぎて、世界は視覚から聴覚へと移る。男は警察がやってきたことを感じ取る。「音の存在よりも音の欠如でわかるのだ」。隣の部屋のノックの音が聞こえ、宿泊客たちが避難させられている様子が耳にはいってくる。

待ち受ける恐怖はいちどにふたつの恐怖を合わせもつー待ち受ける恐怖と、おそろしい事態が起こると同時にやってくる恐怖と。現実の恐怖には現実の恐怖しかない。なぜなら、事態が起こったときには、もう待ち受ける恐怖はないからである。

このフレーズに感銘を受けた。恐怖とは、恐怖の時間が訪れるのを待ち受けるところに最もやどるものだと常々思っていたから。ここにサスペンスやホラーの真髄があると思う。

「さらばニューヨーク」も忘れがたい傑作短編だ。貧しさ故に夫が犯罪を犯した若い夫婦が、追っ手が迫ってくるのを感じながら、ニューヨークを脱出しようとする物語だ。地下鉄の駅で夫が来るのを待っている女。「ニューヨークのない世界なんてどんなだろう」と彼女は考える。やっと夫がやってきて二人は地下鉄に乗り込む。希望など一つもない。乗り込んできた男に震え、妻は負の連鎖を思う。「ニューヨークよ、さようなら、わたしたちよ、さようなら」。

そして、「命あるかぎり」。ローマで運命的に出会った素敵な男性と結婚した女はやがて彼の異常性に気づき始める。あれ?これ前にどこかで、と思ったら、そう、本作品は、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『マルタ』という作品の原作なのだ。結末はまったく同じだが、そこに至るまでの描写は、かなり、違っていて、原作が、男のサディズムを暗示的に表現しているのに対して、映画の方はかなり変態チックに執拗に描いており見ていてどっと疲れた覚えがある。

「裏窓」などもそうだし、トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』の「暗闇のワルツ」もそうだし、ウィリアム・アイリッシュ作品は映画化されているものも多い。この13の短編だってみんな映像化してもいいくらい。「ヒッチコック劇場」みたいな「ウィリアム・アイリッシュ劇場」ができてもおかしくない。