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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』を観る

1947年ロスアンゼルス郊外のトランボの家、入浴中のトランボのバストショットのあと、バスタブで仕事をしているトランボの姿が映しだされる。彼が叩く激しいタイプライターの音と、バックに流れるジャズがよいセッションとなって響いてきて、観る者のわくわく感を刺激する。

冷戦下、アメリカ国内の共産主義者に対する疑心暗鬼は、マッカーシーや、ニクソンらに政治的に巧みに利用され、一種の集団ヒステリーとなり、共産思想を持った人々を襲う。このあたりのことは、最近、ディヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフィティーズ』を読んでいたので理解しやすかった。ハリウッドにもマッカーシーみたいなのがいたんだなぁ。女性のコラムニストなのだが、この嫌な女をヘレン・ミレンが実に巧みに演じている。

冒頭、トランボが脚本を担当した作品の撮影風景が出てくるが監督がサム・ウッド、主演がエドワード・G・ロビンソン。これはなんだろう? 三人がクレジットされている『緑のそよ風』とは別の作品のようだ。日本未公開作なのかな? しかし、サム・ウッドってこんながちがちの保守派だったんだね。

苦難の中、最後まで戦い続けた、トランボと家族の物語だ。父を尊敬し、影響を受け、公民権運動などにせいを出す長女にエル・ファニング。この人は売れっ子だなぁ。トランボの妻役はダイアン・レイン。いい女優さんになったなぁ。

それにしても『ローマの休日』の脚本に関して、こんな裏話があったとは思ってもみなかった。偽名で脚本を書き、アカデミー賞をとってしまうなんて、なんて痛快なんだ。低予算の娯楽映画を作り続けるキング兄弟が「アメリカの理想を守るための映画同盟」の脅しをあっさり(といってもフランク・キングを演じるジョン・グッドマンがバットを振り回して大暴れするわけだけれど)蹴る場面もスカっとする。金のためだけに映画を作っていたと言われている彼らだが、彼らも生粋の映画好きだったに違いない。B級映画というのはいつの世にも需要はあるのだ。彼らはターゲットを徹底的にそこにしぼっていた。

本作ではそんな映画が好きで好きでたまらない人々が圧力に屈しない姿が誇り高く、時にユーモアを交えて描き出される。

カーク・ダグラスオットー・プレミンジャーが颯爽と現れるところも良いなぁ。オットー・プレミンジャーがトランボの家にやってきたとき、トランボは肩にオカメインコをのせている。カーク・ダグラスからの贈り物だという。部屋の奥には負傷した鳥の治療を行っているケースがある。「俺ならブロイラーにするな」というジョークをプレミンジャーが言うが、いるんだよね、こういう人(笑)。ともあれ、本作は貴重なインコ映画としても記憶しておきたい。

時代が変わり、人々の思想も変わる。アメリカの50年代は一見、平安で穏やかな時代というイメージだが、多くの人々があるべき姿を押し付けられて恐々とした時期だったのだろう。その次代への反発として60年代後半にはカウンタカルチャーの時代がやってくる。しかし、そんなこと、10年前には誰も予想することはできない。ブラックリストに載せられ、仕事を奪われ、絶望し、なんの保証も光明も見えない中、それでも闘い続け、書き続け、ついに時代がトランボに追いつくのだ。なんという闘いだろう。ラストのメッセージがまた心を撃つ。映画はメッセージを終えたトランボの横顔で終わる。メッセージを終えてほっとしたような、様々な感情を背負っているであろうこの表情が最高なのだ。