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サミュエル・フラーを観る

サミュエル・フラーといえば、学生時代にロードショーで『最前線物語』を観たのみ、あとは『気狂いピエロ』に登場したのを記憶しているくらいだ。自分の中でその名前だけがどんどん大きくなっていくのに、観る機会がなかなかなかった。

今回、boidから『サミュエル・フラー自伝』が刊行されたのを記念して「サミュエル・フラー連続上映」が催された。しっかり情報を把握していなかったため『ベートヴェン通りの死んだ鳩』は既に上映が終わっていて見逃してしまったのだが、あとの三作品『ショック集団』『裸のキッス』『チャイナ・ゲイト』は無事観ることができた。サミュエル・フラーほぼ初体験というところだが、三作品とも思った以上の傑作揃いですっかりうなってしまった。

ショック集団』は主人公が女の集団に襲われるシーンがまず見せ場の一つなんだけど、映像のショッキングさもさることながら、様々な音が同時にかぶさることで混乱に拍車がかけられる。女が歌っているのが「a cup of tea」といった爽やかな曲なのも面白い。精神病院が舞台なのだが、食事シーンで乱闘が起こるところは刑務所ものと同じだな。メインになる場所が、画面奥へと続く廊下なのだけれど、ここが嵐で水浸しになるという妄想シーンがやはり最大の見せ場だろう。ただ、この映画でもっとも恐ろしいのは、院内に潜入捜査をして殺人事件を解決しようとする記者の恋人(コンスタンス・タワーズ)が、危険な手段だから中止せよとあれほど懸命に訴えたのに、誰一人それに耳を貸さないことだろう。彼女は言う。「こんな狂った計画なのにみんな平然としている」。映画自体、ただの娯楽映画というよりは、ベトナム戦争公民権運動など、様々な当時の時代背景を折り込み、社会派的な要素を秘めている。この恋人の言葉は当時のアメリカ社会への警告ともとれるだろう(そしてそれは今の時代にもつながる)。

『裸のキッス』。女がハンドバッグ(?)を何度も振り下ろす場面からいきなり始まる。殴られているのは彼女たちを搾取する男。女はスキンヘッド。その後、女の顔の正面のアップ。かつらを被ってヘアメイクし、満足気に微笑む。タイトル。こんな激しくかつ洒落たオープニングみたことない。『ショック集団』にも出演していたコンスタンス・タワーズが圧倒的な存在感を見せる。「活動的な無知よりこわいものはなし(ゲーテ)」など理知的な会話が交わされ、途中流れるヴェニスの風景を撮った8ミリ映画も魅力的だ。

まっすぐに正義を貫く彼女の姿は凛々しく、彼女の窮地に、最初は腰がひけていた人々も勇気を持って行動を起こし始める。結構おぞましいモチーフが満載なのに、非常にすっきりするというか、清々しい後味がある。女はバスでやって来てバスで去っていく。それを少し俯瞰で撮っている。

『チャイナ・ゲイト』これもまた素晴らしい。1954年の第一次インドシナ戦争を背景にしている。光るナイフ。子犬を抱えた小さな子供が危険を感じて逃げる。食料もつき、極限状態の中、アメリカからの支援物資だけが頼り。

アメリカ軍の飛行機が落とす物資に向かって走っていく人々。これはニュースフィルムなのか、実写なのか。少年は皆が走っていくのと逆方向に走って行く。彼は自分の家に戻ってきたのだ。部屋には妖艶な白人女性がいる。少年の母親リーア(アンジー・ディキンソン)だ。アジア系の少年と母親は全く似ていないのだが、母親の家系には中国系の血が流れているのだという。しかしそのことを理解しない夫は生まれた子の顔を見て怒って二人を見捨てて出て行ってしまったらしい。そんな元夫婦が再会し、ある使命を持ってともに行動することになり、映画はその過程を追っていく。アクションシーンの迫力とともに、夫婦間の反発や愛情、家族の絆が熱く描かれていく。黒人兵士がかっこ良くて、その精悍な顔つきも印象に残ったのだが、なんと、演じていたのはナット・キング・コールらしい! 

題材としては政治的にかなりデリケートな背景を扱っていることもあり、様々なイデオロギーレッテルを貼られもしたらしいが、実に骨太な戦争映画、あるいは人間ドラマとして非常に成功していると思う。ここでもヒロイン、アンジー・ディキンソンが圧巻である。